こころの案内人のブログ

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「保毛男問題」に思う ~ゲイは強く生きるべし!~

 いわゆる「保毛男問題」によって、フジテレビの社長が定例会見で謝罪し番組公式HPに謝罪文を掲載しました。この問題は、このまま終息の方向に向かうのではないかと思いますが、筆者が思ったことを書き留めておきたいと思います。いろいろな思いが頭の中を駆け巡っておりまとまりのない内容になっておりますが、ご容赦いただければと思います。

キャラクターと放送したテレビ局について

 

1.保毛尾田保毛男というキャラについて

 「保毛尾田保毛男」というキャラクターが登場したのは約30年前。筆者は20代半ばでした。当該番組を見た記憶はあまり無いのですが、このキャラは覚えています。今でもいわゆる「キャラ芸人」は存在しており、「彼(保毛男)」も同じようなキャラのひとつなのでしょう。ホモをひとつのキャラとして際立たせた結果が「彼」なのです。偏見や侮辱的な表現云々は別にすると、それだけのことなのだと思います。

 一方で「彼」の存在によって嫌な思いをした方々がいることもまた事実でしょう。当時、筆者は既に社会人になっており職場でこのキャラが話題になることはありませんでした。仮に話題になったとしても、何かしらの対処はできたと思います。しかし、当時自分が小中学生だったとしたら、少々事情が違っていたかもしれません。筆者は小中学生の頃「おかま」等のからかいを経験していたからです。幸いいじめに発展することは無く、心にもやもやしたものを抱えつつも何とか受け流すことができていました。しかし、このキャラが毎週のようにテレビに登場していたとしたら、その話題とともに矛先がこちらに向かってくることは十分考えられます。当時、同じような状況にあり、うまくかわすことのできないお子さん(大人でも)は、つらいお気持ちだったのではないでしょうか。
 

2.放映したテレビ局について

 


 今回、番組を企画し放送したフジテレビについては、リスク管理ができていなかったの一言に尽きます。懐かしいキャラ復活という話題性のみが優先されたのでしょう。しかし、昨今のLGBTにかかわる状況を見れば、何かしらの批判が起こるのは十分予測できたはずです。放送を避けた方が無難であったことは間違いありません。

 「テレビがどんどんつまらなくなる」という声も聞かれますが、今までの面白さ(誰かを揶揄することで笑いを取る)に変わる新しい面白さを追求すれば良いのはないでしょうか。また「単にリスクを回避すればよい」ということではなく、「なぜリスクとなり得るのか」その本質をしっかりと考えていく必要があります。

 一方「ハゲやデブは良くてホモはダメなのか」という指摘もありますが、本来、どちらもダメなのだと思います。BPOで審議入りしなかったことが、「ホモ」と揶揄することのお墨付きをもらったことにはなりません。「ハゲやデブ」も同じで、嫌な思いをしている人は必ずいるのです。何が良くて何が悪いといった議論だけでなく、どうすれば皆が傷つかなくてすむのかということを考える必要があるのではないでしょうか。

3.テレビ局への抗議活動について

 
 今回の放送について、LGBT各団体がテレビ局に対し抗議を行いました。LGBTそのものだけでなく、偏見や差別、笑いとは何かといったことまで議論が広がったのは、時代の流れを感じさせます。LGBTフレンドリーを謳う一方、再び「保毛男」を登場させてしまう鈍感さをフジテレビに気づかせた功績も大きいでしょう。

 ただ、議論が高まれば高まるほど「そっとしておいてほしい」という気持ちも、筆者の心のうちにはあるのです。この気持ちは、何なのでしょうか?自分でも掴み切れていません。
 「抗議文」という形が最善の方法なのか、謝罪を求める必要があるのか(そもそも誰に謝罪するのか)、特別チームの設置を求める意図は何なのか、筆者にはいま一つわからないのです。さらに、テレビ局や関係会社へのLGBT研修や公開シンポジウムの提案など、「この件をLGBT理解を深める好機としよう」「テレビ局という大会社とメディアを巻き込もう」という戦略なのかもしれませんが、少々欲張りに思えるのです。
 この違和感は何なのか・・・。正義を振りかざしているような姿が、当事者である筆者から見ると逆につらく思えるのかもしれませんね。謝罪を求めるのではなく、放送によって生じる影響について局側に伝える、あるいは社会に発信するというだけでは甘いのでしょうか。
 

今回の件に思うこと

 

1.自分をしっかり持って強く生きる

 今回の一件であらためて思いを強くしたことは、この記事のタイトルである「強く生きるべし」ということです。「強く生きる」とは「自分をしっかり持つ」ということ。そして、自分を受け容れ自分なりの考えや物差しを持つということです。今回の件で言えば「ホモ」である自分を受け容れること、少々の雑音は受け流す術を持つこと、たとえ偏見にあったとしても気持ちを強く持ち、胸を張って生きること、などです。セクシュアリティの問題以外についても同じです。

 ミッツ・マングローブさんが、(おそらく)同じような意味合いの発言をされていらっしゃいました。その発言に対し「強者の論理」だという意見も目にしましたが、強く生きようとしなくていったいどのように生きればよいのでしょう。強く生きるとは、カミングアウトすることではなく、相手に戦いを挑むことではなく、自分との闘いだと筆者は思っています。今は弱くても、少しずつ「自分(個)」というものを確立していくことが大切なのではないでしょうか。
 

2.自分の言動が誰かを傷つけてはいないだろうか

 もうひとつ思うこと。それは、「自分の言動が誰かを傷つけているのではないか」という感度を高めるということです。これは、当事者であってもなくても同じです。感度を高めても、傷つけてしまうことがあるかもしれません。そうしたら「その失敗を受けとめ学んでいく」という姿勢が必要ではないでしょうか。

 自分をしっかり持ちつつも、相手を尊重していく。その時々で相手は変わります。また、同じ相手でも状況によって接し方が変わります。その時その時の関わりの中で、自分がどのように発言すれば良いのか行動すればよいのか考えることが大切なのです。そして常に学ぶ姿勢を忘れない。この原則を意識すれば、多くのことが解決していくのではないでしょうか。

井上伸郎

井上伸郎

カウンセリングルーム「こころの案内人」の代表。セクシュアリティに関わらず様々な方々の「悩みの解決」や「目標の達成」を、解決志向型カウンセリングによってお手伝いしています。

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